000206 読書 1


読書は時間の無駄だと思う。現実の自分の人生が限られているのに、他人が書いた架空の人生に関わり合って自分の持ち時間を減らすのは、割に合わない。天気の良い日曜、何かの本を読みふけって、日が暮れかかっているのに気が付くと、泣きたくなる。なるべく本を読まないようにしている。

 それでも、ありがたいことに読む機会はある。出張やなんかで飛行機に乗ったり、知らない土地のホテルに泊まるとき、ほんとうに読みたいものが手元にあれば、何時間でも時間をつぶす事が出来るし、それが良い本ならば、読んだ後で時間を無駄にしたと思わなくてもすむ。

 良い本の基準は簡単で、読む前と読んだ後の自分は別人だ、と言える場合だ。これを読まずに済ますと危ないところだった。先月のうちに読んでおけばこの一ヶ月を有意義に過ごせたのだが、あるいは、3年前にこれを読んでいれば、この3年を別の気持ちで暮らせたのに、といえるのが、良い本だ。こういう本なら、うっかり天気の良い日曜の午後に読んでも、あまり泣かずにすむ。「この本によって新しくなった自分を、次の晴れた日曜に、現実の生活で試してみよう」と思えるわけだ。この段落には全然誇張がない。問題は、読む前にこれが分からないことだ。

 次善の本、悪くない本についても言おうか。読んでそのとき良かったと思うものだ。出張に持っていって空港や飛行機の中やホテルのベッドで読むなら、こういうものでもいい。ディケンズの大部分がそうだ、と言っても腹を立てる人は居ないと思う。

 読み始めると、くだらないものでも最後まで読んでしまう。だから、期待が持てるもの以外は読まないようにしている。新聞の新刊案内に載っているものは、読まないことだ。理由は、新聞の新刊案内に載っている本がくだらないからではなくて、もっと確実に自分を喜ばせる本を探す方法があるからだ。私は平成に入ってから「かもめのジョナサン」を人生の一冊に挙げるようなとんまには出会ったことがない。

 と言うわけで、2週間前に出張の話が出たので、飛行機で読もうと思って「罪と罰」を買ってきた。ところが出張の予定が後へずれ込んだため、読み終わってしまい「未成年」を買ってきたが、これも今日読み終わった。結局、あさっての出張用に「白痴」を買ってきた。「カラマーゾフの兄弟」以来、ドストエフスキーについては、安心している。

2000年2月6日作成 home pageへ