991011 話し言葉


 活気のある社会では話し言葉は変化する。

 先日、間寛平と若い女が混ざったテレビ番組で、こういう場面があった。何か言葉のゲームだったと思う。寛平が「を」を「wo」と発音する。ところが若い女たちは、「を」の発音は「o」だと言う。寛平は「時代なのかなぁ」と言っていた。実は私も驚いた。

 私にとって、「を」は「wo」だ。ATOKのローマ字変換も、「を」は「wo」だと言っている。しかし、大勢の若い人たちが「o」だと言うなら、実際には、すでに「o」なのかもしれない。

 50音に「わ行」があって、現在「わ」「を」しかない。しかし昔は「wa」「wi」「wu」「we」「wo」という音が、在ったのだそうだ。こんどは「を」が無くなるのか。

 私は、言葉の正しさの所以は、多数に通じる事だと思っている。辞書に載っている言葉が正しい言葉だ、というのでは話がアベコベになる。多数に通じる言葉を、辞書に載せるべきなのである。だから、「を」を「o」と発音することになっても、別に苦情はない。(びっくりするだけだ。)

 話し言葉は10年で変化する。今80歳ぐらいの人たちは、壮年の頃「外人」を「ぐぁいじん」と発音していた。タモリは、最近の話し言葉に対する不平を述べているが、彼自身、今風の平坦な発音に変化してきている。私にとっては、「~です。」の「す」は無声音だが、最近はアナウンサーでも、「su」と発音することが多い。むっとするけど、しょうがないのである。

1999年10月11日作成 home pageへ